小松彦三郎先生逝去

東大数理の友人から、小松彦三郎先生が10月2日に亡くなられた事を伝えられました。

小松先生には、東大数学科で学部四年生から大学院修士課程、博士課程で指導教官をして頂いただけではなく、助手になってからもいろいろお世話になりました。それなのに、先生が1995年度末に定年で東大を退職されてからはほぼ完全に連絡をしていませんでした(私はある時期から年賀状は誰に対しても書かなくなりました)。こんな不義理にお詫びの言葉も見つかりません。

以下、雑多な思い出を順不同で。

  • 小松先生にお目にかかった記憶の最初のものは、学部三年生での関数論の講義です。無茶苦茶でした…。(^^;; まぁ、関数論の基本的な話は二年の後期に大体終わっているので(大島利雄先生の講義)、三年生は落ち穂拾い?具体的に何やったのか、ほとんど記憶にないのですが、「準解析関数」というのをやったのは憶えています。「一致の定理が成り立つ関数族を拡張する」という話で、学部三年生でやる話か?と今でも思います。後、Phragmen-Lindeloef の定理というのもやってました。正則関数が角領域で有界になる条件の話、というのは今あらためて調べて書いていて、名前以外は完全に忘れていました。
後々になって、小松先生の関数論の講義が無茶苦茶、という文脈で「Phragmen-Lindeleof の定理とかいうのまでやっちゃってるんですよ」という話を神戸でしたら、高野先生に「それは漸近解析では非常に大事な定理ですよ」と諭されてしまいました。失礼しました。

  • 四年生のゼミを選ぶ時に、私はミーハーですから「カッコイイもの」をやりたいと思い、小松先生の所で Schapira の "Micordifferential systems in the complex domain" を選んだんですが、明らかに身の丈に合わないものでした。まともに読めたのは、付録の圏論や層についての準備と最初の二章位。付き合って下さった小松先生(と当時助手だった大阿久俊則先生)にはさぞや退屈な思いをさせてしまったと思います。

  • 但し、小松先生が我々のゼミの間よく居眠りをされていたのは、話が退屈だというだけではなく、当時(1986年度)小松先生は京都での国際数学者会議 ICM90 の実行委員長としてお忙しかったから、というのもあったと思います。(ICM90 の長は小平邦彦先生でしたが、実務は小松先生や荒木不二洋先生らが担当されていました。)

  • 居眠りしていても、目が覚めると鋭い質問で学生を血祭りに上げる、というのが小松先生。これは夙に有名でした。ある時には、学生がまともに質問に答えられない時に、こんな話をされました;「『振られる』って言葉がありますね。そう、『女性に振られる』っていうあれです。あれは、元々は禅の言葉なんだってね。禅問答で、弟子が答えられなくて見込みが無いと見ると、先生は鈴を振る。そうすると弟子は問答無用で退席しなくてはならない。僕も今度から鈴を持ってこなくちゃいけませんね。」いつものようにニコニコしながら言うもんだから、言われた学生の方は、意味が分からずにヘラヘラして「そうですねぇ」とか言って調子を合わせていましたが、いや、お前、今「出てけ!」って言われてるんだよ、分ってる?…、という恐ろしい先生でした。(「禅問答で…」という話は、本当かどうか確認はしていません。)

  • が、学生側も無策ではない。緩い論理展開をすると先生が突っ込むのが分ったので、僕は入念な準備をした所でわざと細かい点を曖昧な言い方をして「誘いのスキ」を作りました。当然、小松先生はそこを突いてくる。待ってました! (^-^) 、と背負投で返り討ち?(何じゃソリャ?)これを二、三回やると、小松先生の方に「こいつは雑に言ってるようでも分っている」という刷り込みが出来てツッコまなくなる。それを確認した上で今度は本格的にサボる。すみません、今だから白状します。m(__)m

  • 四年生のゼミでは、とにかく自分が何をやっているのかサッパリ理解しないまま闇雲に本の定理の証明を追っかけただけ。ほとんど進まなかったのに年度末が来てしまったので、最終回には「この後、この本ではこういう定理が証明されるようですが、何やってるか全然分かりません」と言って定理のステートメントの抜き書きだけをズラッと並べてみました。そうしたら、小松先生はやっと我々の出来なさ加減を認識して下さったようで、「D 加群とは、関数空間への Hom を取ると、こういう風に偏微分方程式の解空間になるんですよ」という説明を黒板でして下さり、正直、「それを最初に言って下さいよぉ、この一年は何だったんだぁ」とガックリした事を憶えています。

  • 修士に入ると、小松先生の下で当時「一番カッコイイ」と思った SKK (Sato-Kawai-Kashiwara) の佐藤超関数と擬微分作用素の大論文に挑戦。あれは、後半の擬微分方程式(E 加群)の分類とかが大事なのですが、我々は最初の方の「佐藤超関数の積」という辺りで撃沈。全然進まなくなり、結局私は非線形偏微分方程式の佐藤理論の方へ流れてしまいました。それでも我慢してゼミでの話に付き合って下さり、それどころか要所要所で励まして下さり「そこはこういう所まできちんと拡張しないといけないね、佐藤さんの話は Grassmann 多様体の degenerate cell までやってあるのが良い所なんだから」という具体的なコメントまで頂いたりしました。(後で、そのコメントの方向で拡張が出来ました。)

  • 小松先生の偉い所は(などと私が言うのはオコガマシイにも程がありますが)、こういう風に自分の専門としない方向に学生が向かっても励まして下さる所だと思います。実際、小松ゼミ出身者には小松先生のご専門から離れた大物が大勢いらっしゃいます(私がよく存じ上げている所では、三輪哲二先生とか河東泰之先生とか)。

  • もっとも、小松先生は「言ってはいけない事を、言ってはいけない場所で、言ってはいけない時に言ってしまう」人で、各方面にいろいろご迷惑を掛けたのは、弟子として申し訳ない所です。多分一番有名なのは、あるお弟子さんの結婚式で仲人として開口一番「私はこの結婚には反対なんですけどね」とニコニコしながら仰って会場全体が凍りついた、という話(これは、その被害者お弟子さんに直接確認しました)。(^_^;;; が、この「言ってはいけない事を…」は、受け継いでしまった弟子が(私も含めて)チラホラ…。

  • ICM90 の公式報告書に載っている小松先生の文章で、文部省の人が「(開会式?で)大臣の口から言って欲しい事はありますか?」と聞いてきたので「『(今回は日本人(森重文先生)が Fields 賞を取ったが)いずれ、日本に留学した外国人が Fields 賞を取るようになって欲しい』とお願いします」と答えたら一笑に付された、という話が書かれていたと思います(私の記憶なので間違っていたらすみません)。昔これを読んだ時は、「あぁ、小松先生、また変な事言っちゃって」と思いましたが、今考えると、これ大事な事ですね。小松先生の慧眼です。

まだいろいろ思い出しそうですが、とりあえずこの辺で一旦おしまい。

先生が 1995 年度末に定年で東大を辞められる時には私は丁度学振海外特別研究員で Berkeley にいて、それまでのお礼も出来ませんでした。それどころかその後お目にかかってご挨拶する事も無く、失礼してしまいました。申し訳ありませんでした。

衷心よりご冥福をお祈り致します。

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